2021-10-11 第205回国会 衆議院 本会議 第3号
大学時代をアメリカで過ごした経験が、私の政治人生に大きく影響を及ぼしているように思えます。三重県の高校を卒業し、日本人の留学生がまだ物珍しい中、人種のるつぼと言われていたアメリカに行ってみると、そこは、るつぼではなく、パッチワークでした。
大学時代をアメリカで過ごした経験が、私の政治人生に大きく影響を及ぼしているように思えます。三重県の高校を卒業し、日本人の留学生がまだ物珍しい中、人種のるつぼと言われていたアメリカに行ってみると、そこは、るつぼではなく、パッチワークでした。
ですから、私、大学時代に訪問販売のアルバイトをしていたことが実はございまして、そのときの経験からすると、私は決して悪質なことはしていないということは断じて最初に申し上げておきたいというふうに思いますけど、でも、そのときにですね……(発言する者あり)怖くないですよ、大丈夫ですよ。
私、三河湾に、大学時代は葉山でヨットをやっていまして、そして今、三河湾で海の恵みをいろいろ調べさせてもらっていますけれども、やはり、ある決まった大風が吹くと、海洋プラスチック、ごみが流れ着くわけですけれども、これは、廃棄されたものは誰の責任なのかという議論にいつもなるんですが、地元で、やろうよ、この海きれいにしようよと頑張っている人たちが汗をかいているところで、その人たちの責任になっているんです。
約四十年近く前、商船大学時代の私の在学時と同様、学生の多くは、船、海、航海士、船長に憧れ、夢をかなえようと入学し、在学中に様々な経験を積みます。学内での講義や実習、海技教育機構の練習船実習と、教員、先輩からの指導を受ける中、残念ながら、船、船員に魅力を失い、陸の企業へと方向転換する者もおりますが、なお定員の七割程度はモチベーションを保ちつつ、海運企業への就活に挑戦します。
私は、大学時代に心理学を勉強いたしまして、それ以来ずっと事故や災害時の人の心理と行動ですとか、あるいは事故や災害をもたらす人のエラーの問題について調査研究をしてまいりました。災害心理学ですとかヒューマンファクターズというような、どちらかというと社会科学とか人間科学というソフトな領域を専門としております。
それは大学時代ね。そういうとき、肉屋へ行くと、今みたいなあんな白いものの上に肉が乗ってパッケージされているという、ああいうのはないですよ。当時、何かこういうやつ、知っていますか、分かりますか、紙の、ぺたぺたという、あれでやっているんですね。 だから、私は、若い人たちはこれからためらいがすごく増えていく時代。ところが、僕らみたいな昔を少し知っている世代は、昔の時代に少し戻す必要がある。
この教員のなり手ということで、私が大学時代の頃を振り返ると、教員志望の友達というのはたくさんいたんですが、御存じのとおり、当時は教員の採用倍率というのが非常に高くて、小学校の、東京都で小学校の社会科の教師になろうとすると非常に難しくて、もうとても無理だということで諦めて地元に帰った友達もいました。
大学時代に、大学の四年生、三年の後半からNHKの方でバイトをさせていただきまして、当時、松江放送局で報道カメラマンの方にアシスタントとしてニュースの現場にいつも同行させていただいておりまして、運が良かったのは、一九八七年、昭和の六十二年十一月の六日、この日は竹下登さんが総理大臣になった日で、このときに竹下登さんの実家にNHKのカメラクルーと一緒に行かせていただいたことは今でも思い出に残っております。
実は、私は、一度も教師として教壇には立っておりませんが、大学時代、教育学部に通いまして、教育課程を取得いたしました。 その中で感じたことといいますのは、特に積み上げの教科の場合に、つまずきの箇所というのがあるように思います。そこの、つまずきの箇所でつまずいてしまった場合に、その先なかなか学習を進めていくことが困難になる児童生徒がいるのではないかと思います。
そういう社会にはしないということなんですけれども、まさにこれは一九四〇年代に英国の作家が書いた小説で、私は大学時代に読みました。
大学時代、私、中央大学でしたので、八王子の山の中にいて、時々、八王子、大臣の御地元に行きました。やはりあそこは大学生が集う学生街ですので、ライブハウスだったり、あとは、大学生同士でやっているバンドも含めてスタジオがいっぱいあったりと。
一昨年、私が大学時代から本当に親しくしていた友人が、帯状疱疹から意識不明となり、亡くなりました。六十歳前後でありました。最近では、横浜の市長が帯状疱疹にかかったという報道を目にいたしました。 脊髄神経節に潜伏する水痘ですね、この帯状疱疹ウイルスが再活性化をすることが原因で、片側の神経支配領域に生じてまいります。最大の合併症というのは痛みであります。合併症、皮膚感染症、角膜炎などを起こす。
私は大学の同級生でございまして、ついでに言うと委員長も同期なんでございますけれども、二人とも大学時代から有名だったので私はよく存じ上げておりますが、余談はさておき、質問に入りたいと思います。 まず、丸川大臣、先ほどから東京オリパラの話が出ておりますけれども、やはり、そろそろどういう開催にするかを決めないと、いろいろな意味で準備が間に合わなくなると思います。
しかし、私自身も大学時代はそうだったんですけれども、名古屋から出てきて、住民票は名古屋に置いたまま。結構、学生とかあるいは単身赴任者とかは、東京に実際には住んでいるんだけれども住民票はそれ以外の人という。それが今回のキャンペーンの対象になっちゃうんですね。そうすると、感染症拡大防止の観点から見ると、これは抜け穴みたいになっていて、やはりこういう方々が行くことで、それが地方に蔓延する。
私は大学時代の参考書でしか知らなかったんですが、長谷川正安先生という憲法の先生がおられまして、参考人でおいでになりました。その方と随分と議論をして、立場は全く違いますが、極めて有益であったことをよく覚えております。 私は、会長あるいは幹事の皆様方の努力によってこういう会が開かれたことは極めて有意義だと思っています。こういう機会をもっと設けてほしいと思うのですね。
茂木大臣が経済財政担当大臣だったころの内閣委員会で、私はTPPの必要性ということと同時に食料安全保障について質問させてもらって、覚えておられるかどうかわかりませんけれども、農業生産者、消費者、そして輸出産業、この三者が得をする三方一両得という意味で、食料安全保障について私は解説させてもらったし、今言った、平時からの備えがあれば、また有事における明確な計画があればそれほど恐れるに足りないというのは、私が大学時代
私も、奨学金、そしてアルバイトで大学時代暮らしてきました、仕送りもなかったですから。困ったときに、教務課とか学生課の方から連絡があって、奨学金で一年に一回だけこの上乗せ分が使えるよとか、学校側は把握しているんですよね、どの学生が必要なのかどうか。なので、まずは学校側としっかりと連携を取って、必要な学生さんに情報が届くようにしていただきたい。
質問に入らせていただく前に、その前提として、私ごとですが、私は、大学時代、手話を学んでおりました。手話サークルに所属し、そして、その中で聾の友人ができました。それまで私は、障害者というのは弱い存在であり、あるいは守られなければならない存在として考えておったんですが、私が出会った聾の友人は、その私のイメージを全く変えてくれました。 私より年のころは三つ、四つ上だったと思います。
と申しますのも、先ほど私の個人的なお話をさせていただきましたが、大学時代、私は手話を学ぶ中で、さらに、盲聾の男児の支援をさせていただく機会を得たわけであります。当時まだ小学校五年生だった先天性盲聾者の男の子でありました。名前は森敦史さんといいます。当時小学校五年生でしたから、もう今は二十六歳、七歳ぐらいになったでしょうか。先ほど申し上げた筑波技術大学の大学院生として学んでいます。
まさに、もう三十数年前ですけれども、これからはグローバル化だ、商社はグローバル化を言われているけれども、実際アメリカに渡って、大学時代から英語になれ親しみ、異文化に親しみ、そういうチャレンジある学生たちを採用しようじゃないかといって、百名弱のアメリカに留学している学生たちと面接しました。結果はどうかわかりますか。ただ一人も採用しませんでした。
しかし、高等専門学校、工業高校の教員等が学問として大学時代に取得した知識では、AIやIoTとの連携など社会のニーズに合う教育体制、対応が難しいのが現状であります。是非とも産業界がこれら教育機関と連携をして、学生のみならず、学校現場の教員、技能者等の人材育成に取り組むべき必要があると思います。